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繋がり

最近また信じられない様な出来事を見聞きして、無い頭を
搾って色々と考えています。タイ国内の日本人向けフリーペーパー
「バンコクマダム」だったかな?ちょっと定かではないんだけど、
とにかくフリーペーパーにバンコク在住の日本人の連載コラムが
あり、それは私が読んだ回で終了だったのですが、最後の記事で

いじめをする駐在妻にうんざり

と言う内容他が書かれていました。「バンコクでもあるんだ?」と、
他人事ではありません。シラチャでも日本人が増えるにつれ、
この問題はあちこちで耳にするようになりました。私の実家は
焼き物をやっているので、普通の会社勤めの方達のように、会社の
上下関係やら会社同士の位置(力)関係にはかなり疎い私ですが、
海外に派遣されるような社員は少なくとも経験や能力、実績、そして
人格の持ち主だと思っています。そんな社員の妻が、何故?
日本と違って奥さんは仕事をしなくて良いし、掃除だってある程度
メイドさんがやってくれる、ゴミの分別もゴミ出しもしなくていい、
子供が学校へ行ったらいくらでも自由な時間がある、そして物価が
安い分金銭的にも余裕がある筈。タイ人は子供に優しいしので、
子連れで外出だってしやすい。日本食に困ることはないし、タイ語が
全く話せなくても暮らしていける。こんな良い環境に居てどうして
それ程までにストレスが溜まるのだろうか?何が不満なの?
私には不思議でなりません。

実は昨日はお姉ちゃんの7歳のお誕生日でした。昨夜はちび子の
お友達が我が家で晩ご飯を食べる予定だったので、昨日の午前中
ピッチャーカフェに行き、バースデーケーキを注文しました。ついでに
お茶をして帰ってきたのですが、初めは店内には私達だけだったので、
赤ちゃんをちょろちょろさせながらケーキとコーヒーを飲んでまったり
していると、50代位の日本人女性2人が入って来ました。目が合った
瞬間、自然に会釈を交わし、その方達は私達の後ろの席に座りました。
別に聞き耳を立てていた訳ではなかったのですが、女性二人は良く
聞こえる声で話をしていて、そこへ1人の方の携帯電話が鳴りました。
電話に出るなり話し声のボリュームが一気に上がったので、私は
とても親近感を覚えました。私の実家の周りにいる年配の方達と同じ
だったからです。その後赤ちゃんが後ろの席に近付いて、持っていた
ミニカーを見せたり後ろの方達のテーブルの上を走らせたりして、
私は慌てて赤ちゃんを抱きかかえて「すみません」と言ったのですが、
この方達は「いいのよ。私達本当に気にしていないから」と笑顔で言って
下さり、帰り際に「お子さん何歳ですか?」と聞かれ、そこから少し
話をして、1人の方に来月お孫さんが生まれる事を知りました。
赤ちゃんのほっぺを両手でぷにぷに触りながら「どこに行ってももう
赤ちゃんに目が行くばっかりでね?」と目を細めていらしたのが
印象的でした。初対面で、偶然居合わせた他人同士でも、こうして
気軽に言葉を交わせることが、私にはとても嬉しかったです。

さて、先日映画「孤高のメス」をDVDで見ました。とても素晴らしい映画で、
特に私の兄は一時心臓移植でしか助かる道はない、と医師から
宣告されたことがあったので、身近な出来事として受け止めながら
見ました。この映画の最後に 

「皆繋がってるんだね」
「あなたも、ちゃ?んと繋がってるのよ」


と言う台詞があり、この言葉がいつまでも私の胸の中に響きました。
そうなんだ、人は皆繋がっているんだ。血や命、思い、温もりを肌で、
言葉で、仕草で感じ取ることで、私達は周りの人達と繋がっているんです。
この「感じ取る」「察する」と言うような感性は、欧米人にはありません。
アジア人、その中でも私達日本人が一番優れているのではないでしょうか?

ところで、毎回一時帰国する度に様々な場面で驚く事が多い私ですが、
この前帰国した時、実家のトイレが改装されて、「最新式」になっていました。
トイレに近付くだけで自動でトイレの蓋が開き、終わった後はトイレから
離れるだけで自動で水が流れるのです。このことを私の母はとても自慢げに
見せてくれたのですが、正直言うと「凄い」と言うより「呆れた」と言うのが
私の感想でした。どこまで人の手を排除するつもりなんだ!?
ありとあらゆる便利グッズが溢れ返っていて、「これ、本当に必要?」と
首をかしげる物もすくなくありません。

私達日本人は人の手を介して、人の優しさや温もりを感じ、自分と家族、
地域、学校や職場などとの繋がりを感じながら生きてきたと思います。
だから子育て中はどうしても母子は家にこもりがちですが、それでも
今みたいに孤独や社会からの孤立感は皆無だったのではないか、と
思います。小さい頃から周りとの繋がりを持ち、結婚して、子供が
生まれることで、新たな繋がりを持つ機会が増え、こうしてどんどん
繋がりが増えるからです。こうした繋がりは目に見えませんが、何よりも
確かで強い存在だと思います。子供手当だとか、子育て支援等という
目に見えるものよりも、もっと私達の心を支えてくれるものだと思います。

私はタイに来て、遠くの親戚より近くの他人と言う諺を痛感しています。
2人の子供の出産に際し、タイ人には本当にお世話になり、学ばせて
もらいました。こうした周りとの繋がりがしっかりしていたお陰で、私の
タイでの子育てはとても素晴らしく、満ち足りたものになりました。
TBSドラマ「JIN?仁ー」の中で、「不便な暮らしだからこそ、人は
支え合って生きていくのだ」と言う台詞がありましたが、その通りだと
思います。日本は便利になり過ぎで、人の手を省き過ぎた結果、人と
人との繋がりが薄れ、軽視され、そこへ民主党政権が発足し、この大切な
繋がりを断ち切ろうと、なりふり構わずあの手この手でやっています。
この「繋がり」を感じる為には、本来誰もが持っている「生きる力」を
使わないといけません。そして「まず相手ありき」の視点に立つことで、
目に見えない繋がりを全身全霊で感じ取ることができるのです。
そうすれば、お互い支え合って、より良い生き方が出来るのでは
ないでしょうか?ところが、この逆をやってしまうと、民主党の、特に
女性議員のように、悲壮な表情でかな切り金切り声を上げながら答弁する
様な、全ての繋がりを断ち切って、自分の中に「核」となる力が無いので、
常に何かに不平不満を持ち、誰かを攻撃することで必死に自分を
保たないといけない、そんな生き方になってしまうと思います。
いい年して平気で他人を罵ったりいじめたり、自分の感情をうまく
コントロール出来なくて、頭の中で思ったままを(大)声に出してしまう、
まるで小中学生の様な未熟で幼稚な大人がこれ程増えた理由がここに
あるのではないかな?と、自分なりに分析してみました。
私も口が悪いので人のことは言えませんが、でも自分の発した言葉は、
巡り巡っていつか必ず自分に返ってくる、と聞いたことがあります。
いつか自分に返ってくる言葉が自分を励まし、支え、温かい気持ちに
させてくれるものの方が良いか、それとも傷つき、恐れ、悲しみに
暮れるものの方が良いか、言うまでもありませんよね。

じゃあ、こういう人達とどうやって付き合っていけばいいのか、この答えは
残念ながらまだ見付かっていません。こういう人達とも付き合う機会が
あるので、どうするのが賢明か、悩んでいます。正論が通じる相手では
ないので、話し合いをしても、延々と持論を展開し、反論すると逆上し、
あとは理屈の通らぬ事を喚き散らすだけ、なので、本当に厄介です(悩)
どなたか、名案があれば、是非教えてやって下さい。
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コメント

Re: タイトルなし

☆ハハサウルスさん

> お姉ちゃんお誕生日おめでとうございます!息子と同じ学年で、とても親近感が湧きます。

ありがとうございます!早いもので、もうすぐ1年生が終わりますね!
ついこの前入学したと思ったら、もう2年生ですよ!!信じられません!


> 石もぶつかって角が取れ丸くなりますしね。

名言ですね!
私の場合、お姑さんとずっと離れて暮らしていて、会うことも殆どありませんから、その分「気遣いを怠るな!」と言う意味でこういう人達に囲まれて暮らしているのだと思っています。

> 「他人との折り合いがつかないのではなく、自分の気持ちとの折り合いがつかないのだ」

これ、すごく分かります。私がタイ人とここまで仲良く付き合っていけるのは、どんなことがあっても「理解するのではなく、とりあえず受け入れる」ようにしているからです。そうして最後は「タイ人だから」と言う一言で、日本人には絶対にあり得ないくらいの寛大さと言いますか、許容範囲が無限になりました(笑)。「こんなことで腹を立てるなんて、自分はまだまだ器が小さいな」と、相手のミス(結構重大なミスでも)を笑って許せるようになりました。ミスをした張本人に「あなたは器が大きい人だから、これくらいのことは許して当然でしょう!」と暗にほのめかされれば、そしてあの人懐っこい笑顔で言われたら...ね~(苦笑)。でもこれが日本人同士だとこうはいかない。「日本人なんだから、理解し合えて当然」と思ってしまうんですよね。ここが「日本人の証」なのかも知れません。「話せば分かる」と言う精神は捨て去れないのです。

> これからもいろんな人と繋がりを持っていく中、自分を見失わないように心がけていきたいと思います。

様々な名言、格言を頂き、有り難く思います。他人の言葉に気持ちが簡単に揺らぐ内は、自分が定まっていない証拠です。常に「平常心」でいられるよう、そして「学びの心」を持ち続けていこうと思います。お忙しい中、貴重なコメントをありがとうございました!

お姉ちゃんお誕生日おめでとうございます!息子と同じ学年で、とても親近感が湧きます。

さて、人との付き合いについてですが、私も名案はなく、ケースバイケースなので、難しいですよね。どうしても価値観が合わず、平行線をたどるしかないやりとりをすると、すごく疲れて「あ~話をしなければ良かった」と思うこともあります。でも、自分と同じ価値観の人だけと付き合うわけにもいきませんし、いろんな人と接する中で、たとえそれが精神的消耗戦だったとしても、「学びの場」だと思うこともあります。石もぶつかって角が取れ丸くなりますしね。

ある本に「他人との折り合いがつかないのではなく、自分の気持ちとの折り合いがつかないのだ」と書かれてあり、要は自分の受け取り方次第なのかなぁと思ったことがあります。まぁ言うは易しで、なかなか気持ちの整理はつきません。しかし、他人の気持ちを変えるのは難しいですが、自分の気持ちを変えることは何とかできそうかなと…。(いや、これもなかなか難しいんですけど…苦笑)

最近おまじないのように心に言い聞かせているのは、「他人がどうのじゃなく、自分がどうあるべきかなんだ」ということです。これからもいろんな人と繋がりを持っていく中、自分を見失わないように心がけていきたいと思います。(偉そうなことを言いましたが、気持ちの折り合いをつけるのに、結構時間がかかって、イライラすることもしばしば…、未熟な私です)

Re: タイトルなし

☆hikaruさん

> おねえちゃん、お誕生日おめでとうございます。

ありがとうございます。誕生日が来るのを指折り数えるお姉ちゃんを見て、羨ましいと思った私です(苦笑)

> 同じ事は老人の社会でも同じで、周りがいいと思ってすすめてもなかなか外に出られない人が多いです。デイケアサービスで生き生きされてる人、グループホームに入って安全、安心を手に入れて気持ちが落ち着いて来て健康になってきた人・・・。年齢は関係ないですね。働いているお母さん、働いてきたお年よりは明るく、元気です・・・。

先日見た映画の中で、「歳を取るということは、自分が稼いできたものだと思う」と言う台詞があり、なるほど!と感心しました。その稼ぎは「量」よりも「質」が問われるものだと思います。私も気付けば「アラフォー」、今まで稼いだものを振り返り、自分に足りないものをこれからしっかり稼いでいきたいと思います。

最後に、いつも貴重なコメントをありがとうございます。心に染みる言葉、学び多き言葉、励ましの言葉...どれも有り難く受け取っています。

おねえちゃん、お誕生日おめでとうございます。
子育ての時は孤立しやすいけれど、これも多分その人の人柄なのだと思います。同じ事は老人の社会でも同じで、周りがいいと思ってすすめてもなかなか外に出られない人が多いです。デイケアサービスで生き生きされてる人、グループホームに入って安全、安心を手に入れて気持ちが落ち着いて来て健康になってきた人・・・。年齢は関係ないですね。働いているお母さん、働いてきたお年よりは明るく、元気です・・・。
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